誰が寿司を回したのか?回転寿司の始まりを追う
今日はお寿司にしよう。と思い立ち、見回すと殆どの寿司屋が回転寿司だ。今や寿司屋の中でも多数派となったかに見える回転寿司だが、そもそもなぜ寿司を回転させる必要があったのだろうか?そしていつ、誰が考えたのだろうか?
G-Searchの『新聞・雑誌記事横断検索』を使い「回転寿司の誕生」について調べると、意外にも古い歴史を持つことが判った。
1958年にオープン・大阪万博でブレイク
新聞記事によると、回転寿司の元祖は1958年に東大阪市の近鉄・布施駅前で"回転"した「廻る元禄寿司」だという。なんと48年も前に創業しており、開店当時に使われたキャッチコピーは旧ソ連が成功した人類初の人工衛星打ち上げ(1年間の出来事だった)にちなみ"人工衛星廻る寿司"だ。この、ちょっと今ではノリが分かりにくいコピーからも古さが伝わる。
元禄寿司に始まる回転寿司は、大阪人のせっかちな気性に合ったのか話題を集め、1967年にはフランチャイズ1号店となる仙台店がオープン。それを皮切りに全国展開が進んでいった。
とはいえ、まだまだブレイクまでには到らない回転寿司だったが、なんと1970年に開催された「大阪万国博覧会」に出店する事となり、一躍脚光を集めた。
大阪万博といえば近未来のイメージとして「電気自動車」「無人モノレール」「動く歩道」といった、オートマチック化された未来の日常が呼び物となっていた。その大阪万博の西口に、回転寿司がオープンしたのだ。
回転寿司は近未来の寿司システムとして万博の未来志向に見事にマッチ。大きた話題を呼び全国から問い合わせが殺到する事となり、一挙に全国的な認知を集めたのだった。
その当時、新潟に出店していた回転寿司屋に関する記事を読むと、それまで客の入りが悪く店の存続も危ぶまれたものが、大阪万博以降は行列ができるほど人が集まったとある。万博効果は絶大だったようだ。
さらに元禄寿司は、大阪万博の4年後の1974年に、ニューヨークへの海外第1号店を出し、これが回転寿司のイメージを高め、その後、元禄寿司が持つ回転寿司の特許が切れたことから、一挙に全国各地への出店が広がったのだ。
そもそも回転寿司を考案したのは?
では回転寿司は誰が考えたのだろうか?
記事によると、回転寿司の元となるアイデアは終戦直後の1948年に白石義明さんによって考案された。白石さんは当時、中小企業の工場がひしめきあう東大阪で立ち食い寿司屋を開いていた。
それまでの寿司屋といえば高級料理の代名詞で、店には値札の無いメニューが並び「いくら支払えばいいのだろう?お金足りるかな?」と、非常にドキドキ感のある庶民には近寄りがたい雰囲気があった。
しかし白石さんは地元の工場で働くお客さん達に喜んで貰おうと、一皿20円の立ち食い寿司屋をオープン。
一皿20円という明朗会計と低価格による安心感がある立ち食い寿司屋は、高級品が安く食べられるとあって人気を集めたが、今度は寿司職人の確保が難しくなり機械による省力化を迫られていたのだ。
そうしたジレンマを抱える中、ビール工場の見学をした白石さんは、そこで見たベルトコンベヤーの上をビンが流れ、次々とビールが注がれる様子から、寿司屋でそのコンベヤアーが使えないかと思いつき、それから10年の歳月をかけて回転寿司の基礎となる「コンベヤー旋回食事台」を開発したのだ。
この旋回食事台というアイデアにより、
・ 店に入れるお客さんの数を増やせる
・ お客さんは入店して直ぐに、好きなペースで食事ができる
・ お客さんの出入りも早い
・ 寿司職人の数を減らすことができる
と、それまで寿司屋が持つイメージを一気に変えファストフード業界の革命的な商品と呼ばれるまでに成長したのだった。
このように昔から当たり前のように存在する回転寿司だが、もし白石さんがこれを発明しなかったら世界には回転寿司が存在しなかったかもしれない。そう考えると面白いし、別の革命的なアイデアが無いものか、歩きながらでも考えてみると面白いかもしれない。
おまけ:回転寿司のトリビア
ついでに新聞記事から見つけた回転寿司に関するトリビアを紹介。

