講演収録 「困難を克服して」 プロ野球解説者 島田 誠 氏 10
妥協を許さないコーチとしてリーグ優勝・日本一に貢献
日本ハムに14年間、在籍した後、現役最後は福岡ダイエー・ホークスにお世話になることになりました。入団してみると、素晴らしい選手はたくさんいるのに成績はサッパリ。とても戦う集団という雰囲気はなく、試合に負けても何も感じない。負けても次の年には給料が上がるから、試合の勝ち負けは関係ないといった雰囲気でした。
私は4月28日に川崎球場でデッド・ボールを受けて、右くるぶしの上3カ所を骨折。その結果、現役復帰も叶わずユニホームを脱ぐ決意をしました。引退後、プロ野球の解説者として5年間を過ごしましたが、その5年目にゴルフのプロテストを受けようと思い、練習をしている時のこと。突然、携帯電話が鳴り、電話を取ると「福岡ダイエー・ホークスの王貞治だけれども」という声。いきなりの電話に緊張していると「君にコーチを引き受けてもらいたい」というありがたい申し出に、迷うことなく引き受ける決心をしたのです。
さて、コーチに就任する1997年、その前年のシーズンは最下位。Bクラスの常連で、4位、5位、6位の階段を行ったり来たりという状態を何十年と続けているチームでした。この年に入団してきた選手はドラフト1位で井口資仁選手、2位が松中信彦選手、3位が柴原洋選手。私は早く勝てる集団にするため、これらの新入団の選手を超一流の選手に育てたいと考えました。
井口選手は走攻守3拍子揃った素晴らしい選手でしたが、本人はホームランバッターと決めつけていたようです。その特性を活かすように勧めても、全く聞く耳を持ちません。案の定、1年目も2年目も打率1割台という成績。3年目の春のキャンプの時、井口選手が私のところへやって来て「島田さん、3拍子揃った選手になりたいんですけど」と頼みにきたのです。私は内心「やっと来たか!」と思いました。井口選手に盗塁に関するテクニックを伝授し、その年、盗塁王を取りました。柴原選手も同じ頃、バッティングフォームを摺り足に変え、その年、3割を打ちました。その後に入団した川崎宗則選手にも、主にピッチャーの癖をどう見破るかということを徹底的に教え込み、彼は盗塁王に輝きました。
コーチとして10年間、ホークスにお世話になり、2年前の2006年に退団しました。
実は今年の春、北海道日本ハムの監督に就任することが9割方決まっていたのですが、諸事情によって沙汰止みになりました。監督になれなくて良かったという人もいます。2年連続で優勝しているチームの後を引き継いで、最下位になったら1年でクビだというわけです。いい人生なのか、悪い人生なのか、本当に良く分からない。いつもギリギリのところで「待った」がかかる人生です。梨田昌孝監督は2年契約と聞いておりますので、その後、私が監督になれましたら、ひとつ日本ハムを応援してください。その時は恐らく王監督も退かれていらっしゃることと思いますので、思う存分、采配をふるえると思います。
本日は、長い時間、ご静聴ありがとうございました。

島田 誠●しまだ・まこと